アントワーヌ・ブールデル(Antoine Bourdelle, 1861-1929)について

近代フランスを代表する彫刻家の一人。南仏の都市、モントーバンで、家具職人の父の下に生れる。父を手伝い、家具に彫刻を施す中で、次第に造形への興味を深める。奨学金を得て、トゥールーズの美術学校、さらにパリへ出てエコール・デ・ボザール(国立美術学校)で学ぶが、権威主義的な教育に失望し2年で退学。故郷の支援者達に支えられ、パリで制作を続ける。1893年、最盛期には30人以上の助手がいたロダンの工房に入り、研鑽を積みながら、郷里モントーバンの記念碑を制作する。ロダンは人間の内面性や精神性を求める表現であったのに対し、ブールデルはルネサンス以前、中世のロマネスク彫刻を連想させる独自の表現を確立、ロダンは「もう君に教えることはなにもない」と語ったと言われ、ブールデルは10年余り学んだ工房を去る。素朴ながらも力強い生命力と存在感を放つその作品は、当初世間から理解されず、モントーバンの記念碑は非難を受けるが、≪弓を引くヘラクレス≫(1909)などを通して評価を高める。後進の指導にも力を入れ、アルベール・ジャコメッティやジェルメーヌ・リシエ、日本からも木内克などが学ぶ。さらには佐藤忠良や柳原義達もその影響に言及している。
《アポロンの頭》について
ギリシャ神話の神の一人であるアポロンにブールデルが取り組み始めたのは1900年。アポロンはゼウスの子で、竪琴と弓矢の名手であった。19世紀のアポロン像は竪琴を持つ「芸術の神」の姿で表現されたが、ブールデルが制作したアポロンは精悍で厳しい表情による「戦いの神」であった。この作品を巡り、ロダンとブールデルの方向性の相違が決定付けられた、とも言われる。本作は複数のバリエーションのある《アポロンの頭》の一つ。