アンドリュー・ワイエス(1917-2009)について

アンドリュー・ワイエスは、アメリカンリアリズムを受け継ぐ国民的画家として広く知られ、詩情あふれる画風は日本人にも大変人気があります。ワイエスの描く世界は、生まれ故郷のペンシルベニア州・チャッズフォードとメイン州・クッシングに限られ、身近な風景とそこに暮らす親しい人々の日常を、克明に神々しいまでに美しく描きました。彼の魔術的ともいわれる技法は、対象を丹念に観察し、一旦記憶の奥に閉じこめ、それを引き出して心に残るものだけを描くことから生まれます。子供のような純粋なエモーションに導かれ、魂を込めて描かれた作品は生き生きとして見る人々の心に深く響きます。2007年にはブッシュ大統領より、芸術勲章「National Medal of Arts」を授与されたのを始め、歴代大統領から数々の勲章を授章するなど、名実ともに現代アメリカを代表する作家となりましたが、2009年1月16日、91歳の生涯を終えました。画家の人生と業績を讃えメイン州の州知事は7月12日のワイエスの誕生日を「Wyeth Day」にすることを決定しました。
丸沼芸術の森
中村音代
アンドリュー・ワイエス略歴
1917年 | 7月12日、アメリカの東海岸ペンシルベヴェニア州・チャズフォードにて、イラストレーターのN.C.ワイエスの二男、5人姉兄の末子として生まれる。生まれながらの虚弱体質と神経衰弱のため小学校を1ヵ月半で退学、以降16才まで家庭教師に就きながら、父から絵画を学ぶ。 |
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1920年(9歳) | 水彩画を始める。 |
1923年(12歳) | 出版社からイラストの注文を受ける。 |
1937年(20歳) | ニューヨーク、マクベスギャラリーで初の個展。出品作品完売という快挙を遂げた。 |
1938年(21歳) | 義兄ピーターハードよりテンペラ画の手ほどきを受ける。 |
1939年夏(22歳) | メイン州・クッシングで翌年結婚するベッツィに出会い、ベッツィからその後30年間画題とするオルソン姉弟を紹介される。 |
1945年(28歳) | 父N.Cワイエス死去。これ以降独自の絵画の世界を築いていく。 |
1948年(31歳) | 「クリスティーナの世界」を描く(ニューヨーク近代美術館所蔵) |
1952年(35歳) | ドライブッシュ(水彩技法の一種)の作品の発表を始める。 |
1963年(46歳) | 平和と文化の功労者に合衆国大統領から贈られる最高の勲章「メダル・オブ・フリーダム」自由勲章を授与される(ケネディ大統領の決定によるが授与はジョンソン大統領)。 |
1968年(51歳) | クリスティーナ・オルソン死去。 |
1974年(57歳) | 東京国立近代美術館・京都国立近代美術館で「アンドリュー・ワイエス展」開催。 |
1984年(67歳) | 舟橋ギャラリー、飯田画廊、伊勢丹新宿店で個展。 |
1987年(70歳) | 「アメリカン・ヴィジョン~ワイエス芸術の3代」世田谷美術館他4ヶ国8ヶ所で開催。 |
1988年(71歳) | レーガン大統領より「ゴールドメダル・大統領賞」を受ける。 |
1990年(73歳) | 「ワイエス展―ヘルガ」開催。セゾン美術館(東京)他国内6ヵ所を巡回。 |
1991年(74歳) | 加藤近代美術館、東京芸術劇場で「アンドリュー・ワイエス展」。 |
1995年(78歳) | 愛知県美術館他日米4ヵ所を巡回する「アンドリュー・ワイエス展」開催。 |
2000年(83歳) | 「丸沼芸術の森所蔵 アンドリュー・ワイエス水彩素描展」平塚市美術館、岐阜県美術館、福島県立美術館、秋田市立千秋美術館。以降同展は、2004年姫路市立美術館、田辺市立美術館、熊本県立美術館、鳥取県立博物館、2006年には常葉美術館を、さらには2007年、アメリカ、Cincinnati Art Museum, Gilclease Art Museum, Butler Institute of American Artを巡回する。 |
2005年(88歳) | 「アンドリュー・ワイエス回顧展」(アメリカ)開催。 High Museum of Art, Philadelphia Museum of Art |
2007年(90歳) | ブッシュ大統領より芸術勲章 「National Medal of Arts」授与される。 |
2008年(91歳) | 「アンドリュー・ワイエス 創造の道程展」開催 Bunkamura ザ・ミュー ジアム、愛知県美術館、福島県立美術館巡回。 |
2009年1月16日 (91歳) | チャッズ・フォードにて死去。 |
《クリスティーナの世界》習作について
ニューヨーク近代美術館所蔵する、ワイエスの代表作の一つ《クリスティーナの世界》(1948年)。その習作群は丸沼芸術の森コレクションの主軸です。その作品世界は実際の風景の写実ではなく、独自の想像によって象徴的に描かれた情景です。足の不自由なクリスティーナが、誰の助けも借りずに野原を這って我が家へ進む光景は、障害をものともしない彼女の不屈の意思が感じられます。彼女の手足を美化することなく、ありのままに描くことが彼女への尊敬の証だとワイエスは語っています。
丸沼芸術の森が所蔵する238点の素描や水彩は、ワイエスの制作プロセスを如実に語る貴重な資料でもあります。
オルソンハウス・シリーズ

《クリスティーナの世界》は〈オルソンハウス・シリーズ〉というワイエスの画業の中でも最も重要と言われている作品群で、メイン州のクッシングに暮らしたオルソン家の姉弟の日常を、1939年から約30年間に渡って描かれたものです。
オルソン家の姉、クリスティーナは足に重度の障害を持つ、そして非常に自尊心の高い女性で、アルヴァロに助けられながら、慎ましやかに、しかし高い誇りを持って生活していました。
二人に出会った当時、美術界に華々しくデビューしていた、若かりし日のワイエスは、その家の建築様式やたたずまいに魅了されていきます。「オルソンの家はニューイングランドのシンボルだ、そこに暮らす姉弟もまた忍耐強く、威厳があり、独特の頑固さはニューイングランド気質そのものだ。」と言い、彼らの身の回りにあるものに興味を惹かれ、繰り返し描きました。その対象は、家屋、道具、人物、船などです。1960年代末、2人の姉弟が亡くなるまで、ワイエスはこの絵画シリーズを描き続けました。
丸沼芸術の森コレクションーワイエス作品について
丸沼芸術の森は238点の素描、水彩による238点のワイエスの作品を所蔵しています。そのほとんどはテンペラやドライブラッシュの習作と位置づけられます。これだけの規模でワイエスの作品群のコレクションは他に例を見ないと言われています。ほとんどのデッサンはワイエス自身が手元に所有し、ワイエスはそれを人前に出そうとは全く考えていなかったからです。当コレクションには、多くの素描に犬の足跡や、走り書きのメモなども見られます。それらを通して展観すると、彼の制作のプロセスすべてを見ることが出来るものであり、彼の創造の秘密そのものと言えます。
当コレクション238点の中からは「アンドリュー・ワイエス水彩素描展」が日米10ヵ所でこれまでに開催されています。また2000年からは毎年春に丸沼芸術の森においても、ワイエス展・フォーラムを実施しています。