カミーユ・クローデル(Camille Claudel 1864-1943)について

クローデルは18歳の時に、すでに高名な彫刻家として活躍していた42歳のオーギュスト・ロダンに出会った女性。卓越した技術と才能を持ち、ロダンとは弟子、助手、モデル、そして愛人として深い関係を10年以上続ける。
若く美しいクローデルをモデルにロダンは数多くの作品を制作する。また、クローデル自身も《カレーの市民》をはじめとするロダンの代表作に、助手として力を発揮し、幸福な関係を築く。
しかし、二人の関係の破綻により、自身の彫刻家としての自立を目指す。クローデルの作品は一時評判となるが、経済的な安定を彼女に与える事はなかった。次第に心身の健康を害し、作品の制作も不可能となり、1913年には家族の同意により精神療養施設に収容され、残りの約30年の人生を過ごす。
《飛び去った神》について
クローデルはロダンと決別した1898年、その別離を象徴するかのような《分別盛り》を発表する。その作品は年老いた男とその男を連れ去ろうとする老婆、そしてその右側で男に懇願するように、膝をついて両腕を伸ばす若い女で構成される。これはロダンとその内縁の妻、そしてクローデル自身を表している。《飛び去った神》はその自身の像とほぼ同じ姿勢を取っており、《分別盛り》に関連する重要な作品である。